「ラブはちのへ」運動とは1975年に生まれた八戸青年会議所のスローガンであり、
「まちはそこに住む人の意識以上には良くならない」という考え方
と
「知ることは即ち愛することである」という「知・即・愛」の精神
に基づき、八戸青年会議所の会員だけではなく、八戸市に住み暮らす市民の皆様と一緒に八戸を愛し、
より良い、暮らし良い、我々のための八戸市を作っていこうという意識の高揚運動です。
スローガン「ラブはちのへ」の誕生まで
【1973年】
●「5年後の八戸」を考える
当時の八戸市は高度経済成長期において公害や200カイリ問題などの地域課題や東北新幹線、東北自動車道などの国家プロジェクトが目白押しの騒然とした社会背景の中、八戸青年会議所では「5年後の八戸」をテーマに経済の観点からまちを考えていました。
●萩原茂裕氏との出会い
その中で150を超える地域開発計画に参画された萩原茂裕氏と出会い「まちの個性を生かしたまちづくりが何より大切であり、そのためには八戸の風土、文化、歴史をじっくりと見直し、目先の現実に幻惑されずに、まちの本質を見極めることが必要である。」という結論に至りました。
●「第二回市民意識調査」
また、市民のニーズを探り、今後の活動の目標を見つけ出そうと「第二回市民意識調査」と題したアンケートを実施しました。結果として我々の目指すまちづくりとは、「そのまちに住んでいる人々が、そのまちを知り、そのまちを愛し、そのまちのために何かをすることが必要だ」という意識に至りました。
【1975年】
●「新しい八戸を創造する運動」
「新しい八戸を創造する運動」の実現のため①一人でも多くの市民が八戸について関心を持ち考える②まちづくりについて勉強し市民が意見を述べ合うこと③市当局もろもろの計画に市民の声を反映させること、3つの要点を掲げ運動を展開しました。
●焼山合宿
まずは青年会議所メンバーの心に「ふるさと哲学」をしっかりと定着させるために、同年2月、十和田湖焼山の海幸苑にて勉強合宿を開催しました。
●スローガン「ラブはちのへ」の誕生
勉強会では萩原茂裕氏を講師にお招きして1973年に行われた「経済研究・5年後の八戸」「第二回市民意識調査アンケート」の結果と、その年の考え方をメンバーに浸透させるため、「青年会議所は何ができるのか」「青年会議所の社会的責任」をテーマに、明け方まで議論がなされました。その白熱した議論の中で、一つのスローガン「ラブはちのへ」が生まれました。
●スライド 八戸の・風と土と心 「精神母胎」
同年の秋に開催を予定していた「市民の夕べ」に向けて、八戸のまちの精神母体を探りだしまちづくりに生かせるものをつくるという目標を掲げ、そのためには、八戸は、どこから来たか(過去)、今どうあるか(現状)、そしてどこへ行こうとしているのか(未来)、という方向性を見出すために、まず歴史を探り、八戸をよりよく知り、現状認識した上で未来へ向かって、具体的な提言をするための方法を模索したスライド「八戸・風と土と心」を作成しました。
●「海の樹」が見えた
スライドを作成する過程にて八戸を歩き回り、八戸の歴史を探る中で、八戸の地図の道路を塗りつぶした絵に出合い、それはまるで八戸の地図に大きな一本の樹が生えている様に描かれていました。このまちは海から、モノだけでなく、人も、価値観も受け入れ、地元の風土に同化して発展してきた。すなわち、海から栄養分を吸い上げ、まちへ向かって生える「海の樹」であり、このまちの精神母胎であるという考え方に至りました。外から吹いてくるのが風。ここにあるのが土。そこから生まれるのが心。こうしてスライド「八戸・風と土と心」のタイトルが決まりました。
●市民の夕べ 「精神母胎」
10月に開催された「市民の夕べ」では第一部にスライド「八戸・風と土と心」を上映、第二部では八戸には「海の樹」が生い茂っているという大胆な発想から、「海の樹」を精神母体として漁業、工業、農業などの産業、文化なども有機的に結びづけることはできるではないか、といった考え方を述べ、来場した人々に共感と感動を生みました。
●動き出した「ラブはちのへ」
「市民の夕べ」の反響は大きく、スライド「八戸・風と土と心」は学校や企業、団体など全国各地から上映の要請があり、5年間に500回を超える上映会で六万人に近い人と出会い、八戸のまちのことを、自分たちの役割のことを、八戸のまちにかける夢のことを話し込みました。また、「市民の夕べ」を経て市民の意識も大きく変化し、それまで地域の課題に対して行政批判が多かったものが、自分たちでできることはないかと考え、当時大きな問題であった野犬対策においては、予算が足りないのであれば自ら街頭募金を行い、そうした市民の盛り上がりは団体や行政の支援もあり素晴らしいものとなり、「野犬をなくす市民の会」が結成され、市民ができること、行政ができることを分けて考え、行動が起こりました。「ラブはちのへ」は市民の意識を高揚しまちづくり運動へと歩みを進めました。